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第5分科会
「電子政府と自己情報コントロール権
」
担当/神奈川青年司法書士協議会・情報主権を考える会
全青司登記所統廃合問題等対策委員会
1984年、世界は三つの超大国に分割されていて、その一つ、オセアニアは、他の2国(ユーラシア、イースタシア)いずれかと実際には存在しない永続的戦争状態にあるとされ、「偉大な兄弟」(ビッグブラザー)と呼ばれる絶対的指導者(実体は巨大コンピューター)のもと、国民は常に恐怖と憎悪に駆られながら、思想や発言から私生活の行動に至る全ての人間性を完全な管理下に置かれている…。
これはイギリス人作家ジョージ・オーウェルが1948年に発表した小説「1984年」の中で描いた近未来における監視社会です。
こんな話は今の民主主義国家の日本では起こりえないと一笑に付すこともできますが、はたして私たち日本国民は本当に安泰なのでしょうか。
現在、私たちの回りを注意深く観てみると、様々な監視の目が光っていることに気が付きます。
例えば、街頭の監視カメラやNシステムは、安全保障や犯罪捜査を口実に、24時間市民を監視しています。私たちが、毎日、便利に感じているETCやSUICA、カーナビに利用されているGPSもその移動の履歴から行動監視に利用される可能性があります。
「利便性」の向上と引き換えに、私たちはもっと重要な基本的人権たる自由権を無意識の内に奪われはじめていると考えるのは単なるSF的な妄想でしょうか。
将来的には、住基カードも「持っていれば便利」から「常時携帯しなければ犯罪」に変化していかないとも限りませんし、現時点では企業や政府の研究機関など一部施設のみに採用されているバイオメトリクス(生体認証)もそう遠くない未来には全国民に採用されるかもしれません。究極の国民監視として人間の体内にICチップを埋め込む技術ですらアメリカで開発されているそうです。
必要以上に権力から個人の情報を握られないこと、個人の思考や行動を権力に全面的に掌握されないことが、自由に発言し行動できる真に民主的な国家の基本であると思います。
ところが、近年のコンピューター・テクノロジーの爆発的な進化は、利便性の名目のもと、個人の人間性を置き忘れ、一人ひとりの人間を管理の対象として捉えることしか出来ない社会を生み出そうとしています。
オーウェルの描いた監視社会は何も独裁国家に限られたものではありません。
私たち国民が自らの基本的人権に無自覚であったり、あるいはそれらの権利は憲法で保障されたものであるから、誰か自分以外の者が守ってくれているのだろうと考えている限り、日本でも十分に成立しうる現象です。
1984年は既に過去となりましたが、オーウェルが描く「1984年」は、決して過去の出来事ではなく、私たちにとって近い未来の現実社会と言えるかもしれません。
近年のコンピューター・テクノロジーが生み出した「監視社会」の問題点を個人の自由の価値と人間性の尊厳の観点から分析し、私たちが理想とする未来像を参加者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
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